2008年09月11日

"八幡"というmystery

ミステリーでリサーチする』から『たまたまなんだろうな…』より。取り寄せた『はちまん』と『ユタが愛した探偵』を入手したが、どうにも気になってしょうがないので、手持ちの資料の一部を取り上げることにした。

 そもそも、鍛冶の神である八幡が、何故に『戦の神』…と考えられるようになったのか!?…。無論、八幡は荒神だからおそらく、当事の社会的思想のパラダイム・チェンジであるかと考えられる。

### 八幡 ###
八幡様について
八幡菩薩像
八幡神 - Wikipedia


宇佐神宮
全国二万五千の八幡社の総元締め
神仏習合をすすめた一番手の社



  住所:大分県宇佐市南宇佐
  創建:欽明天皇の御代
  旧社格:官幣大社
  祭神:八幡大神・比売大神・神功皇后

### UpDate ###
宇佐神宮 - Wikipedia
宇佐神宮ホームページ』八幡宮総本宮。
宇佐八幡宮(宇佐神宮)・写真満載九州観光
宇佐市観光協会 -国宝宇佐神宮

▼謎多い八幡さま総本宮の創始・祭神

 全国二万五千ヶ所をネットする「八幡さま」こと八幡神社の総本本宮が、通称「宇佐八幡」と呼ばれている宇佐神宮である。その七万坪を超える広大な神域には標高647mの御許山があり、この神奈備山の北北西の麓の小倉山(亀山・菱形山などともいう)という丘陵の平坦なところに朱塗り・八幡造りの三つの本殿が南面している。

 向かって左から第一殿(応神天皇)・第二殿(比売大神)・第三殿(神功皇后)と並び、このほか境内には下宮・頓宮・若宮・八坂・護王などの摂社や末社が数多くある。

 現在の小倉山に鎮座したのは第一殿が神亀二年(725年)。第二殿が天平元年(729年)、第三殿が弘仁十四年(823年)だが、八幡大神の示現は欽明天皇の御代(539〜71年)とも、あるいは和銅五年(712)ともいわれている。

 すなわち、その創始の年代については百五十年ほどの開きがあり、諸説が入り乱れているのである。そして、その祭神についても昔から議論されてきている。いうなれば、宇佐八幡の成立は神道・宗教・歴史……等々の諸学会の謎になっている。

 しかし、自分の分析に依れば、〔薦神社が宇佐神宮の祖宮〕とする説が本筋の流れとしてもっとも自然で妥当だと考えられ(勿論枝葉としてついてきているのもあるが)、個人的な視点では、妥当だと考えられる。

### 宇佐神宮の祖宮 ### …(薦神社:こもじんじゃ)
薦神社 - 中津市
薦神社(大分県中津市)・写真満載九州観光
薦神社 komojinja
薦神社 - 宇佐八幡の本宮
薦神社 - Wikipedia


▼『延喜式』の神々

 『延喜式』「神名帳」の「豊前国六座(大三座・小三座)」の頁を見ると、「宇佐郡三座(並大)」として、次の三座があげられている。

 八幡大菩薩宇佐宮(名神大)・比売神社(名神大)・大帯姫廟神社(名神大)
 即ち、それぞれが現在の宇佐神宮の三つの本殿に対応しているわけである。そして、ここで注目しなければならないのは、 『延喜式』が編集されている十世紀の時点で、八幡大神が八幡大菩薩の名で登場しているということ、それに大帯姫廟神社とあるように、香椎宮と同じく、しかも息長帯比賣ではなく〔大帯姫の、廟〕であったという点である。

 つまり、この三座が現在の祭神とイコールの関係になるのはいつからなのか、ということになる。さらに、八世紀に成立した『古事記』『日本書紀』が宇佐八幡について、まったく触れていないことにある。


▼八幡神の出自

 和銅五年(712年)に示現した宇佐八幡は、最初、身体は一つだが頭は八つもある、まるで八岐大蛇みたいた鍛冶の翁で、かれに近づこうとする者の大半は死亡した。大神比義という男が観にいくと、翁の姿は見えず、翁は金色の鷹、ついで金色の鳩に変化した。これを神の変身である感じた比義は三年間、山中で修行していると、三歳の童子の姿で現れ「辛国の城に始めて八流の幡(旗)を天降して、吾は日本の神となれり」と託宣したという。

 即ち、「八幡」という神号はここから発しているわけだが、ここでも八幡大神は自ら<渡来の神>(アジア大陸=八流の幡…の神)で、あることを表明している。

 しかも、のち、東大寺の大仏を鋳造するとき、宇佐八幡が手伝ったように、もともとは鍛冶の神であった。

 一方、欽明天皇の御代の示現は、一説では「欽明天皇三十二年二月十日」だったという。豊前国宇佐郡馬城嶺に奇しき光と共に示現したもので、「筑紫の宇佐島」に凝せられている、今の御許山(大元山)である。その山頂付近には手を加えたらしい三個の巨石からなる磐座かあり。その八合目には遥拝所としての大元神社が鎮座し、そこから上は禁足の聖地となっていて、宇佐八幡の摂社・奥宮として崇敬されている。また近くには霊水もあり、なかなか良い雰囲気の神域になっている。

 すなわち、宇佐神宮も、この磐座を御神体とする神奈備信仰(所謂、後の山岳信仰)から始まったわけである。

 因みに「山岳信仰」とは、日本古来の原始的山岳信仰と平安時代、山中に寺院を構えた仏教すなわち修験道をも含めた信仰の事をさす。平安時代に入ると甲州(山梨県)でも富士山、金峰山、地蔵ケ岳、鳳凰山、大菩薩をはじめとする霊山を中心に山岳宗教が盛んになった。なかでも蔵王権現を祭る金峰山は南北朝時代、奈良の吉野に代わって諸国の山伏が甲州の金峰山に入峰した。また富士山は奈良、平安朝から入峰が盛んであり、修験者が練行の道場としたり、富士講という特有の信仰形体が生まれた。

### 山岳信仰 / 神奈備信仰 ###
山岳信仰 - Wikipedia
山岳信仰 山岳信仰の概要
山岳信仰 山岳信仰の概要
原初的山岳信仰の変遷
縄文と古代文明を探求しよう! | 縄文の精霊信仰〜山岳信仰
縄文と古代文明を探求しよう! | 縄文〜現代:日本が誇る13000年の精霊信仰
「山岳信仰と日本人」
『阿蘇山を神奈備』としたの人々

 
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posted by 0≠素子 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | mystery | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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